人の死について考えてみる

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つもりだったのですがなんというか、やっぱりコレを言葉で表現するって凡人には難しすぎるテーマですよね。
色々思うことはあるのですが、どれもフッと沸いては泡のようにすぐ消えてしまうのでなかなか言葉に出来ない。

そもそもこーゆうweb上で手軽に書いてイイものなのかどうかもあやしい。だからこの間のウチのお爺さんの葬儀のときの話も未だに書かずに躊躇している。


.....まぁ色々と考えたんだけどやっぱり書くことにした(書くといってもその時その時のオレの気持ちや出来事だけどね)。自分の中でもかなりモヤモヤしてるし。忘れないうちに自分の気持ちをどっかに記憶しておこうと言うことで書きます。

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本日(正確にはもう昨日か)、大学の友人の通夜に行ってきました。
友人が自殺してしまったことを知ったのが本日の昼。せめて焼香だけでもあげようと急いで家に帰って喪服に着替え。実は日曜にウチのお爺さんの四十九日で喪服だったんですよ。まさか二日連続で喪に服すことになるとは思ってもみませんでした。

御霊前等の用意とかして急いで最寄り駅へ。途中電車を間違えるミスを犯しながらもなんとか一緒に式場に行く友達と改札前で合流。その後タクシーで式場へ。

香典に名前書いたりして実際にその後お焼香をあげたんだけど不思議と涙は出なかった。確かに悲しんだけども知らせを聞いてからまだその時は6時間も経ってなかったから、式場についても、友達の写真を見ても、なんか実感が湧かなかった。「ウソなんじゃねぇの?」って気持ちの方が強かったのかな。ウチのお爺さんの時は式場についてしばらくしたら亡くなってしまったという実感が沸々と沸いてきて涙がでてしまったんだけども(そんときはその後に仏様を見たというのがかなり大きかったかもしんない)。

泣いてるご遺族の方々を見ると、一ヶ月ちょぃ前の自分と重なってしまい目頭が熱くなった。しかも自分らの場合はお爺さんだから年齢的にしょうがないとまだ諦めはつくけれども、まだオレらと同じ20代だからなぁ。ご両親は本当にお気の毒です。

とりあえず焼香あげた後は通夜振る舞いをいただき、しばらくしてまたタクシーで駅前にみんなで集合。その後、亡くなった現場の踏切に花と彼の好きな酒とタバコを供えようと言うことになって買い物をした後実際の現場に。

雨が降っていたせいでかなり肌寒く感じた。現場の踏切は車が結構通るものの、車が来ないと結構薄暗く、こんな寂しいところで亡くなってしまったのかと思うと悲しくなった。既に警報機のところに花と水が供えられていた。そこに買ってきた花束とタバコ、後お酒を加え、一同黙祷。途中警報機の音がかなりうるさく感じられた。

その後は帰り道が同じ友達と雑談しながらまっすぐ帰宅。

PCつけるが、彼が亡くなった日がどうしても気になり(詳しい話は聞かなかった。言う方も辛いだろうし。)
やめとけばいいのに調べてしまった。簡単に該当するニュースが見つかってしまった。どうやらオレがのんきにゲームして遊んでたときに彼は思い詰めて踏切に突っ込んでしまったらしい。そう考えるとかなり切ない。やっぱ調べない方が良かった。

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彼とはよく技術関係の話をしていた。というか今思えば技術関係の話ばっかしでお互いのプライベートのことは全然だったなぁ。多少鬱っぽいようなトコロはあるなぁと思ってはいたがまさか、こんなんなるとは思ってもみなかった。

前に彼がオレのメッセアドレス聞いてきたんだけど、なんだかんだでまだ教えてなかった。それが一番の悔いであります。もう少し色々としゃべってればよかったなぁ。
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ここまで書いて読み直した。改めてこのエントリーの内容が重いなぁと思う。
まぁでもココまで書いちゃったんでやっぱり保存することにする。

生きてる人が死んだ人に対してできることはかなり制限されてる。自分の場合は「安らかに」と彼に対して祈るぐらいしかできません。

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このページは、Lyoが2005年5月31日 00:20に書いたブログ記事です。

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